2016年9月 5日 (月)

魚の大群

これもGW福岡のマリンワールドへ行きイワシの大群から目を離せませんでした。

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一つ一つは小さなイワシでも二万匹集まって動けばどんな大きな魚よりも大きく見えました。すべてが一つの意志によって動いているようです。

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その後のイワシ・タイフーンというショーではダイバーを嵐のように取り巻くイワシの姿が見れました。ミナノコの集合体とはこのようなものでしょうか。。

2016年9月 4日 (日)

名護屋城

唐津にまた2016年GWに行きました。たまたま目にしたので寄ったのですが、豊臣秀吉が朝鮮出兵のため作らせた城の跡で当時は大阪城に次ぐ巨大な城だったそうです。

九州の大名に分担させたとはいえ8か月で作ったと。。とても今からは考えられないと思います。名古屋出身の秀吉が名護屋という地名に縁を感じてこの場所に決めたとか。

散歩がてら城の跡を見て回りましたが1時間かかっても半分も行きませんでした

また写真をたくさん撮りましたが良くわからず羅列します。

朝鮮出兵の時にだけ全国から諸大名が集まり繁栄したそうです。

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博物館が近くにありましたので行きました。入口に像があり、よく見てみると。。

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韓国の石人でした。「石のおじいさん」という意味だそうです。

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桃山時代における石垣普請の技術力
小早川隆景書状
16世紀末/6月25日付

小早川隆景が石垣普請について述べた書状(宛先は不明)。文中に「大仏」と
みえることから、豊臣秀吉が京都に建立した方広寺に関する石垣普請であると
みられる。「石垣の反り」に着目しているほか、「小屋ほどの石で(石垣を)築いており、
人間の業とは思えない」と驚嘆する内容も興味深い。略。。

人間の業とは思えない、という記述ですが、やはり↓の

ソラの情報https://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20140416014947

2014年4月16日(水)            

大阪城の石垣の肥後石 京橋口枡形巨石            

どう見てもこの切り石を肥後から運んできたとは思えません。
イシカミの原子たちが一斉に手をつないで大きな石になろうと、号令をかけられたけど、下になるのは嫌だ、小さくても自分たちだけの石になると、反乱を起こしたと説明する方がわかりやすくないですか? 略

を思い出しました。

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学芸員さんより秀吉の命で金色の茶室をその都度大阪から運ばせていたそうです。折り畳み式の小屋?だったそうです。とにかく豪華絢爛でした。。。

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小さな犬の土製品?
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英語の説明はないが韓国語はある。

朝鮮出兵での戦いはあったが今は絆と。

この後個人的な話ですが韓国シンクロが続きました。

2016年8月29日 (月)

科学館にて太陽の展示

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2015年7月13日 (月)

ブラタモリ

ブラタモリ

新たに始まった最初が長崎で、面白かったらしいと聞き、再放送を見ました。

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今の土地は全部埋め立てられて作られたと。

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本当は茶色の部分しかなかったそうです。

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だからこのような高低差が街のあちこちにあると。

山の上にまで家があるのは段々畑があったので、家を建てたそうです。

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石橋電停の話です。その近くの道路がなぜか盛り上がっています。

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行ってみましょうか。と言われ、え???と戸惑うタモリさん

そのまま梯子が運ばれてきて。。

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この放送を見て、地球の謎解きさんのこちらの情報を思わずにはいられませんでした。
地球を支えている地下のイシカミさん達もこのような思いをしているのではと。
2014年5月29日(木)            

ウイーン            

下で支える苦労をしている存在がいることに、全く気付いていない?
当たり前だと思っているのが、今の人間と同じだということを知らせたいようです。

         

2014年5月29日(木)            

ウイーン            

下半身が魚のようなミナノコのイシジン。
支え続けることへの苦痛の表情がリアルで、解放してほしいということです。
イタリアのモザイクと似ていることで、後期アトランティスはこちらの方まで広がっていたと思われます。
「お疲れさまでした。ゆっくりおソラでお休みください」

この画像をまだ知らない読者からのメールです。
「眠っていると緑と黒の色が見えどちらもせめぎあっているようで消滅しているとだんだん色が薄くなって消えていきました。
すると、イメージですが、地球から?ついに?出てきたものがあり、円形のものを背負っている若い男性、背が高く細く仏像かブロンズ像?のようでもあり戦う人?円形はエネルギー体でいっぱいのようでした」

最初はアトラスと思ったのですが、このような地下のミナノコたちが見せたようです。

2015年6月 4日 (木)

穴弘法寺

地元のイシカミめぐりを少しずつでもしたいと思っています。

今回は、浦上の上の方、江平町にある穴弘法寺です。

どう行けばいいかわからずでしたが、浦上天主堂の横の江平への道から車で行きました。

駐車場があるとのことでしたが、途中の坂の幅の狭さと急な勾配・・・

車では軽で馬力があるか、よほど慣れてないと厳しいと思いました。

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裏山といった感じです。

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歩いて行くと若いお坊さんが。巨石を見に来たというと、親切にこちらから行った方がいいですよと教えてくださいました。

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こちらは陰陽石で有名なようです。

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巨石がたくさんでした。

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景色もいいですよと。

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寺は二つに分かれているようで、途中の道路にて

金比羅風致地区でした。

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このままいくと金比羅山に行くようです。

ここに駐車場がありました。

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また階段を上っていきます。

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さっきの巨石の裏側かな?と思いましたがよくわかりません。

ここにたどり着くまでお地蔵さんがたくさんで後からミナノコさんだったのかもと。

こちらの根元には洞穴の広さが畳5枚ほどの広さだそうです。

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2015年4月15日 (水)

昨日夕方から出かけていると大雨、雹、雷と。。雷は本当にひどくて地響き、建物が揺れるくらいでした。こんなに強い雷は初めてでした。何か知らせているような。。

気になる雲でも地震雲かどうか・・・?と迷ってるうちに、そのままにしていたもの

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2014/11/21 放射状に太陽の光が見えていました。

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3/11 羽のよう

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3/24 稲佐山 やっぱり飛び跳ねてるような

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3/24 雲の穴が気になりました。

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4/11 筋が垂直にありました。



2015年3月 3日 (火)

ブログ名

虹はリュージンとのことで、ブログ名を「ソラへ」に変えました。

2015年2月 4日 (水)

小浜

年末小浜へ出かけました。

長い足湯が無料であり、蒸し釜もあり、天気も良く良かったです。

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海と温泉が近くのんびりとして癒されます

六角井戸、鬼石があると。。

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こちらに小浜遺跡とあったので行くことに

けれども近くと思しき所へ行っても近所の人に聞いても良くわからず。。

奥まった所で、暗い中人の声がして思い切って聞いてみると

以前あったんだけど今は住宅になってしまっていると

昔は学校にも出てきた出土品とか飾ってあったんだけどねと。。

答えてくれた男性の話を聞いていると、隣の女性がこの人のお兄さんが考古学しよったとよ、その人が発見したと

そうでしたか、、ありがとうございますと帰ろうとすると、気の毒に思われたのか、せっかくやっけんこれいらんねと

虫食いあるけど表面だけだからと大きな薩摩芋をたくさんくださいました。

どうもご近所で分けて?帰られる途中だったようです。

こんな大きなお芋はなかなかお店では見かけません。きっと商品にはならないのでしょうけど。。

そういえば、今回蒸し釜を初めて利用したのですが、よくわからず、(持込OKだった)近くの店でジャガイモと卵を買おうとしたらジャガイモはサービスでした。

それも小さすぎて売り物にならなかったのでしょうが味はとってもおいしかったです。

小浜の人のやさしさに触れてイシジンさんの事を思い出しました。

人を助けてくれていたイシジンさん。

島原にはみそ五郎どんの話がありました。

http://www.unzen-geopark.jp/about/h-f 島原半島ジオパークさんより

昔むかし、高岩山に大きな男が住んでいました。この大男は人が良く、力もちで、誰からも好かれていました。み そが大好きで、畑仕事の手伝いをしたり、山を切り開いて畑を造ったりしては、みそを分けてもらっていました。村人たちは「みそ五郎やん」と愛称をつけて呼 んでいました。高岩山を住みかにしていたので、朝起きて雲仙岳に腰を下ろし、有明海で顔を洗うのを日課にしていました。唯一の楽しみは、雲仙岳に座り、九 州の山脈や遠くの海をながめたり、お手玉をして遊ぶことでした。ある日、いつものように畑仕事をしていたみそ五郎は、鍬を「えいっ!」と地面に振り下ろし たところ、力が入りすぎて体勢を崩し、尻もちをついてしまいました。そのとき、土くれが有明海に「ざぶん!」と音をたてて落ちました。このときできた小島 が「湯島(談合島)」です。また、鍬で掘ったあとに水が溜まって、雲仙の空池になりました。それから、転んだときに足を深く切り、たくさんの血が出て、土 が真っ赤になってしまいました.今でもこの赤い土はみそ五郎の血色と言われています。また風の強い日、港にあった船が大波で沖へと流されていきました。漁 師たちは必死にロープでつなぎ止めようとしたが歯が立ちませんでした。それを見ていたみそ五郎は、嵐の海の中に入って、流れている船を何隻もつなぎとめ、 陸に引っ張りあげました。村人たちは、「ありがとう」と言いながらみそ五郎を取り囲み、喜び合いました。おおいに感謝されたみそ五郎は、みそをもらいなが ら幸せに暮らしました。

高岩山には、みそ五郎が遊んだお手玉石(円周十数メートル)や大きな足形がくっきりとついている(と言われている)石が今も残っています。              この巨人伝説は、人々の心の中に永く語り継がれています。

これは本当の話だと思っています。ずっと受け継がれていきますように。

帰りに見かけた諫早の巨石と雲

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