2016年8月29日 (月)

科学館にて太陽の展示

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2015年7月13日 (月)

ブラタモリ

ブラタモリ

新たに始まった最初が長崎で、面白かったらしいと聞き、再放送を見ました。

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今の土地は全部埋め立てられて作られたと。

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本当は茶色の部分しかなかったそうです。

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だからこのような高低差が街のあちこちにあると。

山の上にまで家があるのは段々畑があったので、家を建てたそうです。

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石橋電停の話です。その近くの道路がなぜか盛り上がっています。

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行ってみましょうか。と言われ、え???と戸惑うタモリさん

そのまま梯子が運ばれてきて。。

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この放送を見て、地球の謎解きさんのこちらの情報を思わずにはいられませんでした。
地球を支えている地下のイシカミさん達もこのような思いをしているのではと。
2014年5月29日(木)            

ウイーン            

下で支える苦労をしている存在がいることに、全く気付いていない?
当たり前だと思っているのが、今の人間と同じだということを知らせたいようです。

         

2014年5月29日(木)            

ウイーン            

下半身が魚のようなミナノコのイシジン。
支え続けることへの苦痛の表情がリアルで、解放してほしいということです。
イタリアのモザイクと似ていることで、後期アトランティスはこちらの方まで広がっていたと思われます。
「お疲れさまでした。ゆっくりおソラでお休みください」

この画像をまだ知らない読者からのメールです。
「眠っていると緑と黒の色が見えどちらもせめぎあっているようで消滅しているとだんだん色が薄くなって消えていきました。
すると、イメージですが、地球から?ついに?出てきたものがあり、円形のものを背負っている若い男性、背が高く細く仏像かブロンズ像?のようでもあり戦う人?円形はエネルギー体でいっぱいのようでした」

最初はアトラスと思ったのですが、このような地下のミナノコたちが見せたようです。

2015年6月 4日 (木)

穴弘法寺

地元のイシカミめぐりを少しずつでもしたいと思っています。

今回は、浦上の上の方、江平町にある穴弘法寺です。

どう行けばいいかわからずでしたが、浦上天主堂の横の江平への道から車で行きました。

駐車場があるとのことでしたが、途中の坂の幅の狭さと急な勾配・・・

車では軽で馬力があるか、よほど慣れてないと厳しいと思いました。

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裏山といった感じです。

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歩いて行くと若いお坊さんが。巨石を見に来たというと、親切にこちらから行った方がいいですよと教えてくださいました。

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こちらは陰陽石で有名なようです。

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巨石がたくさんでした。

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景色もいいですよと。

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寺は二つに分かれているようで、途中の道路にて

金比羅風致地区でした。

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このままいくと金比羅山に行くようです。

ここに駐車場がありました。

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また階段を上っていきます。

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さっきの巨石の裏側かな?と思いましたがよくわかりません。

ここにたどり着くまでお地蔵さんがたくさんで後からミナノコさんだったのかもと。

こちらの根元には洞穴の広さが畳5枚ほどの広さだそうです。

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2015年4月15日 (水)

昨日夕方から出かけていると大雨、雹、雷と。。雷は本当にひどくて地響き、建物が揺れるくらいでした。こんなに強い雷は初めてでした。何か知らせているような。。

気になる雲でも地震雲かどうか・・・?と迷ってるうちに、そのままにしていたもの

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2014/11/21 放射状に太陽の光が見えていました。

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3/11 羽のよう

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3/11

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3/24 稲佐山 やっぱり飛び跳ねてるような

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3/24 雲の穴が気になりました。

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4/11 筋が垂直にありました。



2015年3月 3日 (火)

ブログ名

虹はリュージンとのことで、ブログ名を「ソラへ」に変えました。

2015年2月 4日 (水)

小浜

年末小浜へ出かけました。

長い足湯が無料であり、蒸し釜もあり、天気も良く良かったです。

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海と温泉が近くのんびりとして癒されます

六角井戸、鬼石があると。。

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こちらに小浜遺跡とあったので行くことに

けれども近くと思しき所へ行っても近所の人に聞いても良くわからず。。

奥まった所で、暗い中人の声がして思い切って聞いてみると

以前あったんだけど今は住宅になってしまっていると

昔は学校にも出てきた出土品とか飾ってあったんだけどねと。。

答えてくれた男性の話を聞いていると、隣の女性がこの人のお兄さんが考古学しよったとよ、その人が発見したと

そうでしたか、、ありがとうございますと帰ろうとすると、気の毒に思われたのか、せっかくやっけんこれいらんねと

虫食いあるけど表面だけだからと大きな薩摩芋をたくさんくださいました。

どうもご近所で分けて?帰られる途中だったようです。

こんな大きなお芋はなかなかお店では見かけません。きっと商品にはならないのでしょうけど。。

そういえば、今回蒸し釜を初めて利用したのですが、よくわからず、(持込OKだった)近くの店でジャガイモと卵を買おうとしたらジャガイモはサービスでした。

それも小さすぎて売り物にならなかったのでしょうが味はとってもおいしかったです。

小浜の人のやさしさに触れてイシジンさんの事を思い出しました。

人を助けてくれていたイシジンさん。

島原にはみそ五郎どんの話がありました。

http://www.unzen-geopark.jp/about/h-f 島原半島ジオパークさんより

昔むかし、高岩山に大きな男が住んでいました。この大男は人が良く、力もちで、誰からも好かれていました。み そが大好きで、畑仕事の手伝いをしたり、山を切り開いて畑を造ったりしては、みそを分けてもらっていました。村人たちは「みそ五郎やん」と愛称をつけて呼 んでいました。高岩山を住みかにしていたので、朝起きて雲仙岳に腰を下ろし、有明海で顔を洗うのを日課にしていました。唯一の楽しみは、雲仙岳に座り、九 州の山脈や遠くの海をながめたり、お手玉をして遊ぶことでした。ある日、いつものように畑仕事をしていたみそ五郎は、鍬を「えいっ!」と地面に振り下ろし たところ、力が入りすぎて体勢を崩し、尻もちをついてしまいました。そのとき、土くれが有明海に「ざぶん!」と音をたてて落ちました。このときできた小島 が「湯島(談合島)」です。また、鍬で掘ったあとに水が溜まって、雲仙の空池になりました。それから、転んだときに足を深く切り、たくさんの血が出て、土 が真っ赤になってしまいました.今でもこの赤い土はみそ五郎の血色と言われています。また風の強い日、港にあった船が大波で沖へと流されていきました。漁 師たちは必死にロープでつなぎ止めようとしたが歯が立ちませんでした。それを見ていたみそ五郎は、嵐の海の中に入って、流れている船を何隻もつなぎとめ、 陸に引っ張りあげました。村人たちは、「ありがとう」と言いながらみそ五郎を取り囲み、喜び合いました。おおいに感謝されたみそ五郎は、みそをもらいなが ら幸せに暮らしました。

高岩山には、みそ五郎が遊んだお手玉石(円周十数メートル)や大きな足形がくっきりとついている(と言われている)石が今も残っています。              この巨人伝説は、人々の心の中に永く語り継がれています。

これは本当の話だと思っています。ずっと受け継がれていきますように。

帰りに見かけた諫早の巨石と雲

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2015年1月29日 (木)

壱岐のお知らせ

壱岐のおしらせを改めてみると、九州海岸部は地震のため広範囲の地盤沈下があり、大小の島々がたくさんできた。壱岐と九州と本州は(対馬なども?)実はつながっていた。肥沃な平野だったが中国に攻められ悲惨な事になると分かっていたので自ら沈んだ。 

九州に邪馬台国があったと言われていますが、それはヒミコと名乗っていた偽物で、支配星の言うまま祭り事を繰り返し嫌がられ、ヤマトか隣国?に攻められ、中国の力を借りようとしていた。魏志倭人伝に載っているヒミコだそうです。お知らせを読むと納得できました。

一支国博物館がありますが、鬼の伝説がたくさんあるそうです。

http://www.iki-haku.jp/biography/biography-01-1.html さんより

昔々、壱岐は、“鬼”がたくさん住んでいた鬼ヶ島だったそうな。鬼は、島を我が物顔で荒らしまくり、島に住む人を苦しめていたらしい。その鬼の悪行を見かねた豊後国(=ぶんごこく 現大分県)の若武者百合若大臣(ゆりわかだいじん)が壱岐に鬼退治にやってきた。

など。。すっかり悪者にされているのですが、本当は人間のために働いていたイシジンさんだったそうです。

ヤマトから遠く離れていたので遺跡など残っているようです。

菅原道真もイシカミを信じていたので左遷され、部下を殺されてしまったと伝えてきたようです。

http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20031014110808 さんより

2003年10月14日(火)


天手長男神社



壱岐島の天手長男神社
かすかに文字が読み取れます。
2006年8月13日追記
イシジンが土グモと知らせてきて、手長足長も同じ土ぐも=イシジンと。
ヤマトから遠く離れていたので、抹殺されずに残ったと思われます。

2003年10月14日(火)

壱岐の島            

牧崎の鬼の足跡のそばです。


2003年10月14日(火)             

壱岐の島            

鬼の窟説明。

2003年10月14日(火)


壱岐の島

鬼の窟1

2003年10月14日(火)


壱岐の島

鬼の窟2

http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20051027215446 さんより

2005年10月27日(木)


壱岐のアーチ


船の避難場所と知らせてきました。

http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20060813114336 さんより

2006年8月13日(日)


壱岐の地図

この近くに巨石遺跡がありました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200310142142...

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20031014232185 さんより

2003年10月14日(火)
北九州(その1)


先日、壱岐など九州の海岸沿いは地震? のため、広範囲の地盤沈下がありたくさんの島が出来たと伝えられましたので出かけてきました。

与那国島、沖縄近海 (慶良間諸島/喜界島・栗国島)沖ノ島、十三湖、足摺岬などにも海底遺跡はあるそうですし、益田市鴨島、別府市瓜生島など沈んだと伝えられている島もあります。

福岡の埠頭でイカとイサキの活け造りをご馳走になりましたが、とても新鮮で2匹のイカは調理をされているのに、光って体液が循環していました。

それらにお礼を言っていただきましたが、食べることで早く原子に戻れるということで嫌な事ではないそうです。

イサキの方は動かなかったのでイカの方ばかり見ていたら、イサキの口と尻尾が突然激しく動き出し、本当に口でしゃべっているようで、ソラのものが動かしたと伝えて来ました。イサキは早く食べてもらい原子に戻るために “(自ら)網にかかった。魚 (の体験) は終わった”、と2回言っていました。

フェリーで壱岐に向かう時は暗くて景色は見えませんでしたが、「海の下にいるものでかつて人間だったものです」 と言って、やはり大きな地震で沈んで亡くなったと降りてきました。「(亡くなった後) 海の中にいるので水の中のものにしか生まれ変われないと思っていた。(魚?)
人間だった時は (戦争の為に?) 悲惨で、人間というより動物の様だった」 というようなことをかすかに伝えてきました。

壱岐での月は傘を被っていて夜中は激しい雨になりました。【ビジョン】“大きな三角が下から突き上げるように出てきて、次に薄い白い丸が次々出てくる。

 その後、小さな青白い光がたくさん星のように現れては消える”意味は「この地方は大きな地震があり、たくさんの人たちが星になりました」と。

【壱岐】
魏志倭人伝の一支国と言われた島で、かってはここや沖ノ島が九州の端だったそうです。

“原の辻遺跡” は弥生時代の遺跡でした。“オニの足跡” は巨大な穴が開いて、海水が入ってきていましたが、蒙古襲来の時に船が隠れる事が出来るように、巨人が作ったそうです。(壱岐は、鬼ケ島とも呼ばれて、伝説では “デイ” という名の大鬼がいて、片足をここに、もう片足を牧崎に置いて海をまたぎ、フンドシで泳ぎクジラを掬ったという壮大な話になっている)

その巨人が天手長男 (アマノテナガオと言う) で、途中の天手長男神社に行った時に伝えてきました。“オニの足跡” の近くの岩は、とても変わった岩で枕のように丸く、細かい穴が空いていて、ストロマトライトに似ていますが、それはイシカミが作ったことをあらわしたそうです。

すなわちストロマトライトは、海水で生長するのでなく、イシカミが作った (成った?) と言う事で、海水に浸らなくてもあると言う事を知らせるために丘の上に作ったそうです。

又、小さな丸い岩の間に細い線が描かれているのは、本当はイシカミなので繋がっているが、地震で離れ離れにして小島にすると言う意味で、線を引いたと知らせてきました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200310142140...

“鬼の窟 (いわや)” は巨大な岩で作られていましたが、島には200近くの岩屋があるそうです。
天手長男が人間の為に穴を作ったそうで、
「親切に (人間の為に) 作りました」
と言っていました。

月読神社の側を通ったのですが、時間が無くて寄りませんでした。
その夜 【ビジョン】で
“小さな光の点が、UFOのようにジグザク運動をしてから5mmくらいの白い光の丸になりました”
「神社に寄ってくれなかったのが残念だった」 と。


*) UFOは、支配星によって月に隠されていたそうで、今は支配星がいなくなったのでUFOはいなく、それらしきモノは原子達が集まって形を作っているだけだそうです。

*) なぜ大きな地震にして平野を沈めたかと言うと、壱岐とその周りは広大な平野であったが、中国などから豊かな国と思われて攻めて来られ、日本は悲惨なことになるとわかったので、余り豊かでない国にするためにイシカミが自ら沈んで小さな島にしたそうです。

福岡は、割と山が迫っていましたし、大宰府から見た山が所々残雪のように白く見えるのは、イシカミは意地悪で沈めたのでなく、日本を守るために沈めたので、山肌を白いように見せるためにしているそうです。

*) “蒙古襲来” の時に暴風雨があり敵を退散させたのは、イシカミであって、日蓮はその事をチャネリングでプレアデナイから聞いて、あたかも自分が予言し退散させたように言って、権力を得たそうです。

先ほど知らせてくださったサイトで、詳しく壱岐が紹介されていますが、これを見るともっと見てきたかったと思いました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tanabata/ikifile01.htm
(この中に、ジングウコウゴウの名前が出てきますが、私は知らない名前で、ロボットはちゃんと知って勉強していた?)

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20060813090707 さんより抜粋

壱岐島の天手長男神社の神とされているのも、同じイシジンと思われます。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8B%E9%95%B7%E7...
壱岐はヤマトから遠く、イシジンの抹殺計画から逃れたのでしょう。
その他手長、足長は悪者の伝説として残っているようです。
人間があらわれて食べ物もわからなかった時に、イシジンたちが食べものを与えて世話をしてくれたのに、その手柄を全て僧侶に置き換えて、イシジンを抹殺し、悪者としか伝えてこなかったことに早く気づいてほしいと思います。
↑のことに対する怒りを昨日の雷でしっかりと知らせたと思います。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20030918105475 さんより

2003年9月18日(木)
偽のヒミコ(=卑弥呼)


2003年9月17日壱岐の島の地図を見ていると悲しい気持ちになり、なぜかなと意識を向けました。「私は死んだ人間です。ヤマト? の者に殺されましたヤマタイコクのものでした。ヤマタイコクと言っても、偽のヤマタイコクでした。私はセンノウ  (洗脳?・・何度聞いても)  をしていました。

ヒミコ (卑弥呼* ) と名乗っていた者です。

偽のヤマタイコク国の女王、ヒミコと名乗って中国に使者を遣わした者です。

(壱岐と九州、本州は)繋がっていたのです。

それでヤマタイコクのことは知っていました。(イシカミを伝えていたヒミコの名前を名乗り、悪い星のいうままになっていたチャネラー?)仕返しをされたのです。

国は 山を除いて殆んど沈んでしまいました。

私がなぜヤマタイコクのヒミコと名乗っていたかと言うと、ヒミコのように人々から慕われたかったからです。私は悪い星に支配されていました。

そして言われるままに祭り事をしていたので、人々から嫌がられました。ヤマト? からはいつも攻められていました。それで何としても負けたくないと思い、中国に応援を求めたのです」*  偽のヒミコ  (卑弥呼) とは魏志倭人伝にある卑弥呼で、壱岐の島に居た人。
九州の方へ行こうと計画していたら、壱岐に行って欲しいように言って来たので、地図を見て計画をしていたら、突然涙が出てきました。

(このように感情が出てくるのは、余りありません)壱岐の島が端で、九州は円錐型のなだらかな海岸線だったそうで、本州ともつながっていたようですが、沈没して今のような複雑な海岸線になったそうです。

以前の情報でも文献に載っているのは、 偽のヒミコと言っていましたので、
この情報は本当ではないかと思えます。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20030920085205 さんより抜粋

2003年9月20日(土)
偽のヒミコ(=卑弥呼)、岩の写真集。


先日、“偽のヒミコ” から知らされていますが、人間を支配した悪い星に支配された権力者により、悪政が為されたために北九州も沿岸部が地震で高い所を残して殆んど沈んだと伝えられました。

大分前にも同じことを伝えられていて、本にも書いていますが、今回は更に詳しく知らせて来ました。

偽のヒミコは北九州の大国の女王で、(ヤマト?  隣国?)  から責められるので中国に応援を求めたそうです。博多湾辺りが沈没した事で、魏志倭人伝の一大国が壱岐と解釈される事や、志賀島から金印が出て来たことも納得出来ます。

尚、水行00日、陸行00日というのは、リュージンに支配された中国の使者を受け入れまいと、四国のヤマタイコクのイシカミ達が妨害したそうで(道に迷わせた?)  距離的には全く合っていないそうです。

魏志倭人伝 = ギシワジンデンの ギシは、“擬し” という意味もあるそうです。

http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20031015195886 さんより

2003年10月15日(水)
北九州(その2)


壱岐で知らされた事です。「菅原道真の家来が10数人、九州まで付いて来たが泊まる所が無くてお寺に泊まり、そこでイシカミの話をしたので、お寺の住職が、  『イシカミを頼っても何もしてくれないので仏教に帰依しないか?』 と言ったが皆、反対したので住職は当時のそこの権力者に通報し全員殺されたと言ってきました。

【大宰府・天満宮】大宰府は、ダザイフ = 大罪婦 (布告の布) と言う意味から付けられた地名で、地震の事と、女王 (ヒミコ) の事を口にする事は大きな罪 = 死罪だという規則? があったそうで、その事をヤマトは知っていて、イシカミやヒミコの事を、公開するように言った道真を大宰府に流したと言う事でした。

その後大宰府天満宮に行きましたが、小さな社が丁度10数個ありました。  (いろいろな神や家族、お供などの名前などは付いていましたが)

ちなみに道真は、能見宿禰 (=イシカミの子孫? 相撲取りの祖) の子孫で、力石が置いてありました。

この日、カラスが10羽づつくらい道端に降りていてなかなか逃げようとしなく、車の直前を何羽か横切りましたが、ソラのモノが、部下の事を知らせたので、お知らせと言う事でした。

【吉野ヶ里遺跡】弥生時代の遺跡で青森の三内丸山と同じく、横3本が2列の大木で物見櫓 (ものみやぐら) が作られていましたが、三内丸山より木は大分小さいものでした。

「あれも巨人が、木を立てておいたのです」  とだけ言って来ました。

大きな人がここにはいる、ということを知らせる為だったようです。今は物見櫓に復元されていましたが、物見櫓だけなら 6本 も巨木を立てる必要は無いのでないか? 他の建物に比べ大きすぎると思い、巨人が立てた後人間がそれを利用したのでないかと思います。

先日お知らせしましたように吉野ヶ里では、偽・卑弥呼が治めていたようですが、支配星とつながったチャネリングをしたために絶えず戦争をするように言われ、戦争が絶えなかったそうです。
大きな甕棺 (カメカン) は北九州だけに見られる陶器の棺おけですが、中には首の無い遺骨や、お腹に矢が突き刺さった状態で残っていて、やはり争いに明け暮れていたのでないかと思われました。

昨夜の 「動物のような暮らしだった」  と言って来た事も合っていると思います。わざわざ甕棺に入れるのは、死んでも生き返るかもしれないと、隙間のある甕に入れたそうです。(後では、甕の中で人間が創られたことがわかった。

それを人間がお棺にした)その夜、突然女性の天皇?  「ジングウ」 という文字が浮かんでくる。女性のチャネラー  (偽卑弥呼?  ジングウ皇后?)  は争いを好む星に支配され、それで国が乱れた為に、女性が国を治めると国が滅びると思い、これから女性は不浄とされたと伝えられる。

又、大きな地震で土地が沈下しているのに、なぜ言い伝えられないかというと、(イシカミが) 地震を起こしたのでその事を話すと又大きな地震が起こる、すなわち “触らぬ神に祟りなし” と、口にする事を禁じたそうです。

筑後耶馬溪は巨石の河原で、座り心地の良さそうなソファーのような岩や指跡のような岩がありました。

宇美八幡は、ジングウコウゴウ の名前が出てきたので急遽寄りました。
http://www.yado.co.jp/kankou/fukuoka/fukudai/umihatim/umiha...
ジングウ皇后が、後のオウジン天皇を産んだのがここ宇美八幡宮の場所で、
皇室の始まり (産み = 宇美) と言うことだそうです。
安産の神様として丸い小石を奉納するようで、小石の山でした。


沖縄では近年まで骨洗いと言う事を女性にさせていたそうですが、支配星により死を忌み嫌い、恐れさせる目的でさせたと思えます。
肉体が死ぬとイシキは服を脱ぐように身体から離れるのは、多くの “臨死体験”
で語られていますが、その事を思うとイシキの無い肉体の一部である骨に執着させる今のお葬式のあり方にずーと矛盾を感じています。

著者も3人の身内を続けて見送りましたが、お骨拾いと言う事はとても抵抗がありました。
イシキは煙と共にソラに帰り、肉体の苦痛から逃れられたと喜んでソラに旅立って行きましたし、残された者もきれいにしてお別れしてその記憶を留めておきたいのに、わざわざお骨を拾うことはとても残酷でした。
冷たいお墓の中にイシキはいないと以前より伝えられています。
もっともその人がお墓に入るものだと思っていると、そのようにイシキもそこに入るようです。

(当日は30度あり、余りの暑さに神経を集中して聞く事が出来ず、殆んど情報はありませんでした)

2015年1月22日 (木)

崎戸島

年明けに出かけた場所が、大島、崎戸島近辺でした。

近所はともかく遠出の時に運転はしないので、行先はいつも任せています。

崎戸島ではさんさん元気ランドというところで遊びましたが、古墳のようなものがありました。

がなんの標識もありませんでしたので単なる盛り土?だったのかも。。

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小さな花が咲いていました。

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気になった青い石

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葺石かと思ったらタイヤでした。おもしろ自転車という色々な形の自転車に乗りました。漕ぎにくかったけど楽しかったです。

そこからホテル咲き都に行き景色のいい場所へ

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さんさん元気ランドの由来は北緯33度にあるからのようです。

indeepで見たことありました。

海軍遺構がすぐにありましたが 廃墟 写真撮ってなかったです。。 

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ここも海岸沿いで

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バトルロワイアル2のロケ地にもなったと?

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風力発電がありました。回ってなかったのでなんでと聞いたら

壊れるからと・・??


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帰りに寄った海岸で見つけた山


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きれいな海でした。


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元々は炭鉱で栄え、そして今は製塩など

古墳などあったのか、わかりませんでしたが、、

佐世保にも遺跡や古墳があるようなのでぜひ行ってみたいと

また夏に涼しさを求めて七ツ釜鍾乳洞に行こうと楽しみです。

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